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釧路家庭裁判所 昭和53年(家)434号 審判

申立人 川村誠

事件本人 川村健一 外二名

主文

事件本人三名の各親権者を亡小林加代子から申立人に変更する。

理由

一  申立人は、主文同旨の審判を求めた。

二  申立人は、当初小林加代子(以下、「加代子」という)を相手方とし事件本人三名の親権者を相手方から申立人に変更する旨の審判を求める旨申立たが、その後の昭和五三年八月三一日加代子が死亡したため、同年一〇月一三日の当庁における審問期日において右申立を主文同旨の審判を求める旨に補正したことは、本件記録上明らかである。

ところで、通常一身専属の権利が問題となつている事件においては、当事者が死亡した場合は、その性質上受継の問題は生ぜず、事件は当然に終了するのが原則であり、親権も一身専属の権利であるが、後記のとおり親権者が死亡した場合においても親権者変更の審判が許されると解すべきである以上、審判を妨ぐべき特段の事情のない限り、親権者変更請求事件の係属中における相手方親権者の死亡は当然に事件の終了を来たすものではなく、右手続内でなお親権者の変更を求めうると解するのが相当であり、従つて、上記特段の事情の認められない本件においては、なお、審判をなしうるものというべきである。

三  よつて、審按するに、

(一)  当裁判所の申立人に対する審問結果、当庁調査官の調査報告書二通、照会書(回答部分を含む)二通、戸籍及び除籍謄本三通、住民票四通を総合すると、次の事実が認められる。

(1)  申立人と事件本人三名の親権者加代子は昭和四〇年八月結婚し(同年九月二四日届出)、その間に事件本人三名の男子をもうけ、お互いに若干の不満もないでもなかつたが申立人の肩書住居地において平穏に生活をしてきた。

(2)  加代子は昭和五三年春頃から腹痛を訴えたが、貧しくて国民保険の保険料も納入していなかつたため病院代を気にして医者にかからないでいるうち、更に痛みも増し症状が悪化してきた。そこで、同女は、医療扶助を受給する目的もあつて、申立人に対し強く離婚を求めたため、申立人も止むなくこれに応じ、同年六月二〇日協議離婚し別居した。その際、事件本人三名の親権者は加代子の強い希望により同女がなり事件本人三名を引き取り養育することとしたため、別居に際しては申立人が肩書住居地から出、同所には加代子らが居住することとなつた。

(3)  その後、加代子は医療扶助を受け、同年七月市立○○総合病院に入院したが胃癌と診断され、同年八月三一日死亡した。申立人は離婚後も事件本人らに会いに行つたり生活費を援助したりしていたが、加代子を同病院に見舞つた際、同女から退院するまで事件本人らの監護養育を頼まれ、かつ同病院から同女が余命幾許もない旨知らされたため、同年七月二四日肩書住居地に戻り、以後今日まで事件本人らを監護養育しており、この間の同月二五日釧路市役所福祉課の助言もあつて本件申立をなした。

(4)  申立人は○○作業員として○○関係の仕事に定着し、加代子死亡後も肩書住居地で生活し、近隣の援助、協力を受けながら事件本人らを監護養育し、かつ、今後も積極的に監護養育する意思を有しており、事件本人らも申立人との生活を希望し、父子協力し合つて生活している現状にある。

(二)  ところで、単独親権者が死亡した場合に親権者変更の審判をすることが許されるかについてはかねてから問題のあるところであるが、現行民法上未成年者に対する後見制度は親権制度に対する補充、代用的性格を有するものであり、父母の未成年者に対する監護養育はできるだけ親権として行使させるのが両者を区別する民法の趣旨及び我が国の国民感情に合致することに、父母の離婚による一方当事者の親権喪失は共同親権の円滑行使が期待できないことに基づくのであつて、必ずしもその当事者の不適格を前提とするものでないこと等からみて、親権者の死亡が当然に他方の親権を復活させるべきものと解すべきではないにしても、親権者として適格であれば、なお親権者変更の審判により親権者となりうるものと解するのが相当である。

本件においては、前記認定のとおり親権者加代子を相手どり、親権者変更の審判継続中に相手方が死亡したものであり、かつ申立人は事件本人らが出生以来約二ヵ月間別居しただけでその前後を通じ今日まで事件本人を監護養育してきており、その間に父子としての情も継続しているのであるから、申立人を親権者とすることが事件本人らの福祉に合致することは明らかというべきである。

四  よつて主文のとおり審判する。

(家事審判官 田中亮一)

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